柔道整復師・接骨院・整骨院の歴史
ひかり整骨院は平成5年7月21日水曜日『高橋接骨院」として開院しました。
以来22年間施術を続けてきました。
「柔道整復師って柔道で治す??」
今でもよく受ける質問です。
これはひとえに私たち柔道整復師業界の一人ひとりの努力不足なのですが、良い治療をするためには是非理解して頂きたいところでもあります。
そこで、柔道整復師・接骨院・整骨院の歴史を紹介させて頂き、少しでもご理解頂ければと思います。
柔道整復師は、「接骨師」「ほねつぎ」と呼ばれ、骨・関節・筋・腱等、軟部組織の損傷に対して治療する者をいいます。
柔道整復術の起源
最も古い記録によると、奈良時代の「大宝律令」(701年)に外傷を専門とする官職のことが記述されおり、「古事記」(708年)にも医療の記録が記述されています。
また、養老律令(718年)の中の「按摩官制」に「主な職務は、現在で言うところの骨・関節損傷の整復・包帯・マッサージ等」と記載されており、これが歴史的にはむしろ柔道整復の起源であると言えます。
平安時代になると日本最古の医書である「医心方(いしんぼう)」(984年)18巻にも骨・関節損傷の治療法が記述されています。
この当時は「ほねつぎ」の治療を受けられたのは、貴族階級の人々だけであったようです。
本格的に一般庶民が「ほねつぎ」の治療を受けられるようになったのは江戸時代に入ってからで、高志鳳翼(こうし ほうよく)の「骨継療治重宝記(ほねつぎりょうじちょうほうき)」(1746年)や、二宮彦可(にのみやげんか)の「正骨範」(1808年)、華岡青州(はなおかせいしゅう)「欄方位」(年代不明)などの書物が残されています。
戦国時代の武術の書物には「殺法」「活法」の記述がみられます。殺法は敵を殺傷する技、活法は外傷を治療する技術であり、殺法と活法は時代とともに発展・変遷をとげました。これらのうち活法が発展して現在の柔道整復術ができあがったといわれています。武芸者が道場を構えるようになって以降、道場生の怪我を治せる技術があることが道場主に必要な要素となりました。江戸時代に柔道整復術の体系化に寄与した人物として以下があげられます。
名倉直賢(なぐらなおまさ)は明和年間(1764〜1772)に接骨の専門医院を千住(東京都足立区北千住)に開きました。
次回は名倉直賢(なぐらなおまさ)についてお話したいと思います。
参考文献
http://www.okayama-jusei.or.jp/Introduction.php