本を読まなくなったことで学生にどんな変化が起きているのか。
人間の情報探索行動を研究する逸村裕教授です。
逸村教授は学生が小論文を書き上げる際、本を読む人と読まない人でどんな違いが出るのか実験をしています。
筑波大学図書館情報メディア系 逸村裕教授
「今回やっていただく課題です。」
課題は英語の早期教育は必要か。
1時間で1,500字以内に意見をまとめよというものです。
実験に参加したのは、読書時間ゼロの4人と読書をする2人の合わせて6人。
インターネットや図書館の本を自由に利用できる環境に起き、どのように情報を集め自分の論を展開していくか、つぶさに観察するのです。
まず全員がインターネットに向かい、大手検索サイトで“英語の早期教育”という同じキーワードを入力。
100万件に上る検索結果の見出しをチェックしていきました。
開始から12分後。
1人の学生が席を立ちます。
鈴木康平さん
「じゃあちょっと探しにいってこようと思います。」
図書館に向かったのは1日2時間は本を読むという読書家、鈴木康平さん。
あるネット記事の参考文献になっていた2冊の本を探し出しました。
鈴木康平さん
「教育学論集みたいなのがある、これも…。」
さらに、偶然目にした本も2冊手に取りました。
鈴木康平さん
「ネットだとワードで調べたものしかヒットしないという面があるのに比べて、本は検索では結びつかないようなものも拾ってこれる。」
一方、インターネットを続ける読書ゼロの学生たち。
特殊な装置で視点の動きやホームページの閲覧数を計測したところ、驚くべき結果が出ました。
学生がチェックしていたのは、検索結果に表示される見出しと150字ほどの概要。
僅か1秒で必要な情報かどうかを判断していたのです。
パソコンとスマホを同時に操る学生もいました。
1分当たりに学生が閲覧するホームページの数は、11年前(2003年)の学生たちの3倍以上。
学生たちは高い情報処理能力を身につけていました。
一方、見つけた記事を時間をかけて読み込むことはありませんでした。
一部をコピーし、貼り付けそこに手を加えることで小論文を完成させていったのです。
インターネットだけの情報で書かれた小論文です。
際立ったのは提示されたテーマの多様さ。
夏目漱石による英語論から英語の早期教育を巡る親子の関係まで多岐にわたっていました。
一方、自分の意見は。
筑波大学図書館情報メディア系 逸村裕教授
「意見に関しては、この後ろの部分にわずかに見られる、そういう形になってます。」
課題をいかに解決していくかが重要。
早期教育を行うには教員が大量に必要。
自らが提示した多様なテーマとの関連性はほとんどなく考察も深まっていませんでした。
筑波大学図書館情報メディア系 逸村裕教授
「多くの情報を迅速に集める、それに関しては学生の技量というのは明らかに上がっています。
しかし集めすぎた情報に振り回されてしまって、結果的に自分の意見の論理的展開は弱くなり、『どこに君の意見があるのか』というのが見えなくなっている。」
図書館で見つけた文献を読み込む鈴木さんです。
ネットだけを利用していた学生と違い、小論文のテーマをむしろ絞っていきました。
鈴木康平さん
「あーなるほど…。」
英語の早期教育が必要だとする主張に科学的裏付けはあるのか、集中的に調べました。
鈴木康平さん
「ん?」
その過程で気になる記述を見つけました。
大人になっても外国語の習得は可能という研究結果でした。
幼少のころから英語教育を行う必要性は必ずしもないのかもしれない。
鈴木さんなりの視点にたどりつきました。
鈴木さんが書いた小論文です。
“年齢を重ねたあとも言語習得が可能であるとする意見もある。
早期教育に過度に重点を置いて、ほかの教科の授業時間を減らすようなことになっては本末転倒であると考える。”
インターネットの膨大な情報の中から文献をたどって考えを深め、自分なりの意見を展開したのです。
筑波大学図書館情報メディア系 逸村裕教授
「ググれば(検索すれば)すぐに出てくるからというので手に入れるのでは、やはりだめで、それをどのように新たな話に展開していく、新たな知識を発見する、読書の効用というのもそういうものがある。」
東京大学大学院総合文化研究科 酒井邦嘉教授
「本を読むという行為は決して情報を得たいというためにやるわけではなくて、むしろ『自分の中からどの位引き出せるか』という営みなのです。」
読書をしているときの脳は、ほかの活動をしているときとは違う特徴があるといいます。
例えば、雪国の場面をテレビで見ているとき。
映像は視覚をつかさどるこの部分で。
ナレーションなどの音声は言葉をつかさどるこの部分で捉え、脳の前方にある部分に伝達。
場面の意味を理解します。
テレビは次々と場面が変わるため、脳は入ってくる情報の意味を理解することに追われます。
一方の読書。
「トンネルを抜けると雪国であった」という一節を読むとき、まずは言葉を視覚で捉え、次にその意味を理解しようとします。
このとき脳は、どんな景色なのか、主人公はどんな人なのか、イメージを補おうと視覚をつかさどる部分が動きだします。
すると、過去に見た風景などの記憶をもとに、想像を膨らませ場面のイメージが脳の中に出来上がります。
読書による、こうした一連のサイクルが、想像力を養うことにつながると考えられています。
東京大学大学院総合文化研究科 酒井邦嘉教授
「読書と言っても、そういう言葉だけでは実はなくて、視覚的に映像を頭の中に想起するとか、過去の自分の体験と照らし合わせて対比して考えるとか、自分で得られた情報から更に自分で自分の考えを構築するというプロセスがはいってくるので、人間の持っている創造的な能力がフルにいかされることになります。」
詳細
私は子供の頃から読書も好きだし、インターネットもよくやります。
今はインターネットで何でもすぐに調べる事ができ、非常に便利になりました。
一方で、インターネット上の情報には、信憑性という点において非常に難しいものを感じます。意見の傾向を意図的に作る事も出来そうだし。
「みんなはこう考えてるようだ。」という印象も創作されているのでは?と疑いたくなります。
そして、やはり考察の深まりという点がどうしても弱くなるようです。
その点、図書で得る情報は、出所もはっきりしているし、手間も時間もかかる分、深い知識を得る事が出来るように思います。
また、印刷された文字の方が頭に入りやすいように感じます。
それぞれの特性を活かし、上手に使い分ける事ができるといいかな。
広がる“読書ゼロ” ~日本人に何が~ - NHK クローズアップ現代